一般に「科学」とは何かといいますと、
「推論に対して事実を検証して、統計処理により結論を導くもの」
といえます。
ちょっと分かりにくいので例え話をしましょう。 
(自然科学における科学的結論の導き方です)

ある病気「A」に対して、「B」という薬が効くかどうかを考えてみます。
          『薬「B」は病気「A」の特効薬である』   
という推論を立てます。
この推論に対して、薬「B]を病気「A」の原因となる細菌に作用させてみます。
一回目細菌の90%が死滅しました。これで特効薬といえますか?
いえまだです。
二回目は細菌の65%が死滅しました。
三回目は細菌の88%が死滅しました。・・・・・
これを何回も何回も繰り返していきます。データーを取っていくわけです。
この繰り返した結果(データー)を今度は「統計処理」します。

統計処理は、例えば
① 細菌が死滅したのは平均92%だった という結果がでました。
お~ いい値!  特効薬と言えるでしょう!? いえまだです。
② 値の「ばらつき」をみます
つまりいろんな効き方、65%の時もあれば20%の時もあり、35%の時も結構あった、なんていう値のばらつきが大きいときには、このデーター全体が統計的にはじかれてしまします。
特効薬とはいえなくなるのです。
中にはばらつきが少なく、効果あり! という薬も存在し、こういう薬が「特効薬だ~」という事実として科学的に認められるなるわけです。
以上が科学的事実の成立です。(一例ですが・・・)

世間ではこの新しい科学的事実の成立を「科学の進歩」として大歓迎します。しかしその裏に色々なことが付随しているのを見逃してはいけません。
この事実を発見した科学者は知っています。
「はたしてこの薬は、実験的には効果ありとなったが、人体にでも効果がでるだろうか?」
「子供に対して効果があるだろうか?」
「細菌を死滅させる時出てきた毒素は人体に影響は無いだろうか?」
「効果の持続時間はどの程度だろうか?」
「すぐに耐性をを持つようにならないか?」
一つの発見の裏に、何十、何百という分からないことが出てきているということを、科学者達は知っています。
だから科学者は新しい事実を導き出した時、迷うんです。いつ発表すべきか。できるだけ早く発表しなければ、他の人が発表してしまう。二番手は 0 と同じ。でも不明なこともまだ一杯あるんです。
「あ~迷う。この段階で発表しようかな~ どうしよう? う~ 迷う~!」
てな感じでしょうか。

もう一つ見逃してはならないこと。
この薬は平均92%効くだけで、後の8%は効きません。
また 35%しか効かないことも、結構あるんです。

科学とはこういうものです。
私は科学を否定しているわけではありません。大切なものだと思いますし、生活の中で大きな恩恵にもあずかっています。しかし、間違ったとらえ方をしないよう、気を付けねばなりません。

科学は事実ではありますが、真実を示しているわけではありません!

この新しくみつけられた事実は、針の先ほどの事実で、ほんの少し条件が異なれば、全く事実とは認められなくなることも多いのです。言い換えますと非常に不安定な事実であるといえるのではないでしょうか。その証拠が「科学は進歩する」ということです。進歩は変化であり、変わるということです。変わるということは、恒久性がないということです。恒久性が無いものは、真実とはいえないでしょう。

ここまでお読みいただいた方がおられるなら(ありがとうございます)
賢明なあなたはお気付きだと思います。

「ドクターボンズさん、あなたの言う理屈だと、世の中で恒久性のあるものは一つも無くなり、そのため真実なんて無くなってしまいますよ

そのと~り!!!

そのことこそが真実なのです!

 しょ ぎょう む じょう    しょ ほう む が
諸行無常 諸法無我

この言葉は、まさにそのことを言っている、真実の表現なのです

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